『写真講義』

図書館で先月末から借りていた、ルイジ・ギッリ『写真講義』をようやく読了(だいぶ延滞してしまった)。イタリアの写真家であるギッリの講義録。

豊富に収録されている写真の魅力に惹かれるとともに、とても繊細で、ロマンチストあるいは夢想家で、そして理屈屋……そんな彼の人物像が伝わってくるような本だった。心の目で捉えた世界を重んじ、写真という媒体の上でそれを表現しようとするスタンスに共感を覚えた。好きな箇所を一部引用したい。

錬金術にも似た繊細な作業を通じて、私たちの内面──私の写真家‐人間としての内面──と私たちの外で生き、私たちがいなくとも存在し、撮影した後も存在し続ける外的な存在物との均衡点を探し当てるほうに向かわなければなりません。

単純に心のスイッチをONにすること、眼差しを活性化させること、現実の物や要素に別の意味を与えながらこれまで見えていなかったものやことを発見すること、これまでと違う方法で注視すること、こうしたことが重要なのです。

このような注意力を活発にさせられるかどうかが、写真表現での次のステップに関わってきます。取り憑かれたように好ましいフレーミングを探し回ればいいのではありません。

私は当然ながら、彼ほどには写真の世界を深く愛せてはいない。ただ、まれに、撮影に気持ちよく没頭できている時、私にも「心の目で見ている」という実感が湧く瞬間がある。その感覚は大切なものだ、と言ってもらえたような気分で読んだ。

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Amazonのレビューは賛否両論。そりゃそうだろうと思う。ギッリは教え子たちに、とても繊細な領域の話をしている(技術的な面では、おおむね基本的なことしか語られない)。考え方が合わない人も多いだろう。

私にとっては、出会えて良かったと思えた一冊だった。なかなかお高いので、買おうとまでは思えないけど……またいつでも借りられるし。

www.msz.co.jp

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ところで、ギッリの写真には絵画のような美しさがあるが、見ようによっては、なんでもない平凡な光景のような写真でもある。本書のような雄弁な言葉(文章)がなければ、そこに宿る魅力に誰もが気付けるわけではないだろう。

www.archivioluigighirri.com

ということは、もしかすると。
私が心の目でフレーミングして写した写真も、言葉(タイトルやキャプション)をしっかり書かないと、どこを良いと思っているのかさっぱり伝わらないのか。技術が拙いぶん、なおさらだよな……なるほど……。

芝生と花畑の写真