とりとめもなく、2月

前回の投稿から4週間。
あいかわらず、できるだけやる気を出さない感じで過ごしているが、それなりに色んなことが起きた。
思い浮かんだことを書き出してみよう。

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壊れかけていた本棚の補修に成功した。本の重みで棚板が落ちるようになって困っていたが、Amazonでネジを買い、IKEAの電動ドライバーで外側から打ち込んで棚板をがっちり固定できた。

置き場が足りず、どうしようもなかった本の整理が、またできるようになってうれしい。何かが少し前に進んだ気がした。

力仕事は苦手なので、ネジが届いても数日は始める踏ん切りがつかなかったが、Netflixでたまたま観た「水曜どうでしょう」が家を建てる企画で、楽しそうに電動工具を使うおじさん達を見ているうちに気持ちに勢いがついて良かった。すいへー!

不要な本を60冊ほどネットオフに送ったら、460円の査定結果が返ってきた。1冊あたりたったの10円弱。毎度のことながら、不満を通り越して不思議な金額だ。買い取りというよりも、佐川急便のおじさんが自宅まで無料回収に来てくれるサービスという感じだな。それでも十分助かってはいるけど、ゲームやCDならいつもそこそこの値段で売れるので、その差が感覚的に不思議。

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誕生日を迎えた。自分が40歳なんて、実感がまだ追いつかない。
1年生き延びたことを喜ぶべきか、それとも、終わりが近づくことを嘆くべきか。誕生日の朝、頭に浮かんだのは後述のほうだった。我ながら悲観的だね。

母が今年もバースデーケーキを予約して買ってきた。太い4本のロウソクに火をつけて吹き消し、ケーキを切り分けてふたりで食べた。一見スタンダードなイチゴのケーキ、中のクリームの層にはオレンジが練り込まれていて、結構おいしかった。

子どもの誕生日の行事を、一体いくつになるまで母は続けるつもりなのだろう。
気恥ずかしさはすでに通り越して、呆れ半分面白さ半分で付き合っている。
自分のお金と自分の運転で一人息子にバースデーケーキを買うという行為を、母はあと何回できるだろうか。

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近所に走りやすいコースを見つけたので、ジョギングを再開できた。週に1回か2回、3kmほど。

走っていると、時たま、体が運動に“目覚める”ような感覚が走る。
「毎日家にこもって大人しくしてるけど、本来はこのくらい動けるんスよ! これこそが本当の俺っス!」と筋肉が言ってる感じというか……いや伝わらんなこれ……。

もう少しちゃんと説明すると、走るにつれて体力はじわじわと減っていくはずなのに、途中、まるで回復魔法を受けたかのように、体の内側からふわっと活力が沸き起こってくることがある。その感覚が気持ちいい。

近所の距離感覚が走る速度で上書きされて、何度も歩いた道のりが近くに感じるようになるのも新鮮で面白い。

そういえば、ジョギングを始めたばかりの頃は、精神的に煮詰まったときはランで発散していたのだった。改めて習慣にしたい。がんばらない程度にゆるゆると続けよう。

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でんぱ組.incからえいたそが卒業した。

卒業ライブは1年ぶりの有観客。配信で見ていても、スタジオで行われるオンラインライブの何倍も良かった。ステージとこちら側との一体感が、熱気の共有があった。

えいたそ卒業もまだ少し現実味が薄い。Twitter上では、今日も明日もいつものえいたそなんだよな〜(嬉しいことに)。寂しい気持ちは確かにあるけれど、ソロ活動での配信やイベントを楽しみにしておきたい。たまにはこれまでの映像を見て振り返りつつ。

一方で、グループには新メンバーが5人も増えて、これまでとはかなり雰囲気が変わってきそうだ。個人的には、いまの段階で賛否を論じるのは無意味で、次からのライブや新曲でどれだけ夢中にさせてくれるか、それがほとんど全てだと思う。

でんぱ組.incはいつも、新しくて面白い方向に転がり続ける。少なくとも、みりんちゃんが(マインド的な面で)センターとして存在している間は心配いらないとか、そんな風に楽観的に構えている。これからも追いかけていきたい。

mdpr.jp

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PS5の抽選販売に当たってしまった。
昨今の品薄ぶりを見ていると、こんなヌルゲーマーが買っちゃっていいんですか、という感じすらある……。ま、転売屋が買うよりはいいよね。Wiiを発売月に買って以来、14年ぶりの激しい争奪戦だった。

PS4のゲームも含めて、プレイしたいタイトルが複数あるので楽しみ。

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のんびり過ごしているつもりでも、日々の用事は尽きない。
古いノートPCの処分、テレビ周りの買い換えに伴う録画の整理、メルカリ出品、確定申告の準備、ネットスーパーの注文……。

去年の秋ごろから、なにか準備ばかりしている気がする。
この先はどんな風になってゆくのだろう。

がんばらない事態宣言

政府による緊急事態宣言への対応といたしまして、今月はできるだけ働かないことを決定いたしました。
(プレスリリース)

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関東圏のニュースでは、医療体制の逼迫が連日伝えられている。
新型コロナに限らず、本来なら入院が必要な病気になっても入院できない可能性が出はじめた、と認識している。

もはや新型コロナに限らず、病気で命を失う危険性が平時よりも高まりつつある、そう考えるべきだろう。

note.stopcovid19.jp

今はうっかり体を壊せない。
心身を痛めつけるような 、無理な頑張りかたや、不規則な生活はリスクが大きい。
自身を守り、生き抜くことが当面の最優先事項だ。

私の場合、思春期の頃から、精神的なストレスが体調を崩す一大要因だった。
そこで、今はできるだけストレスが溜まらないように行動していくことにした。

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緊急事態宣言が出てから今日までの2週間は、家の中で徹底的に遊んで暮らしてみた。仕事に費やす時間は極力削って、最低限すべきことしかしていない。そして空いた時間には、好きなことだけをしようとした。
アニメ(『ゆるキャン△』)を観たり、ゲーム(ビジュアルがおしゃれで惹かれた某えっちなPCゲー)をプレイしたり、Blu-rayレコーダー(3番組同時に撮れるぜいたくな機種)やサブ用のPC(一度使ってみたかった2 in 1 PC)を思い切って購入したり、料理や家事に時間を使ったり……。

振り返ってみるとまず、気持ちが焦る瞬間が大幅に減ったのが良かったと思う。
私は元々、急がなくてもいい時に急いだり、物事を必要以上に深刻に捉えてしまったりと、自分で自分を追い詰めがちだ。
なので、仕事に対するこだわりを意識的に弱めたことは、少なくともメンタルバランス的には良いほうに作用しているのではないか。

一方で、なまけすぎて個人制作に使う時間がゼロになってしまった。そのせいで頭の働きは鈍っていて、このブログ記事を書くのにも苦労している。運動不足のほうも気になり始めた。
いま一番大切にしたいのは「遊ぶこと」というより「心身の健康を保つこと」なのだから、来週からはもう少しアクティブ寄りの過ごし方をしてみてもいいかもしれない。

というか、PCのセットアップ作業では根を詰めてしまったし、毎日夜中までゲームしてたら睡眠時間は減ったし、メンタルが病む理由は何をしてもなんだかんだ尽きないしで、心身のコンディションを保つのってつくづく難しいなと……。
ん? これもまた深刻に捉えすぎ?

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伊沢拓司が家に大量ストックしているのをテレビで見てから、真似して買うようになったボトルガム。作業中の間食を我慢したいときに。

自分の土地を持っていたい

金曜の夜。ようやく平日が終わり、自分の時間を取り戻せたような気分がやってくる。部屋の防寒対策が済んだので、足下の冷えは耐えられる程度に収まっているし、手元にはマグカップに並々とアメリカンコーヒー。明るいうちにたっぷり昼寝もしたので、文章を書く準備は万端だ。

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前回のつづきを書いてみよう。

SNS全盛の時代に、あえて個人でブログやサイトを開設することにどんな意味があるのか? 自分はそれに何を期待しているのか?

有料のサーバを借り始めてから1〜2年のあいだは、BloggerからWordPressに移設したこのブログの広告が小学生のおこづかい程度に収益を上げていたので、意義を考えるまでもなかった。
「現金収入」
何かをする理由として、これほど説得力の強いワードはそうそうない。

だが、更新を終了したブログのアクセス数がいつまでも減らないはずもなく、収益が月数百円というレベルにまで落ち込んだので、先日ついに広告を外した。あのブログについては、今後の求職活動などの際、昔こういうのもやってましたよーと言えるように保存できていれば十分かなと思う。

実利がなくなったので、それでようやく、個人サイトをやる意味を改めて考えることになった。新しいほうのブログはうまく続かなかったし(前回参照)、今後はどうしていこうか。無料で維持できるブログならなんとなく持っていたって構わないが、うちはサーバとドメイン2つで年間9000円ほどの維持費がかかる。それを無意味に垂れ流しておけるほど、僕はまだ裕福ではない……。

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先に挙げたスキル云々とか、合理的な理由をいくつか並べてみたけれど、それだけでは何かが足りない感じがした。
何日か考え続けて、ひとつ、納得のいく答えが出た。

要するに、自分のサイトを持って、そこから発信することに対しての憧れが消えていないのだ。

今は収入目的のブログがGoogleの検索結果に溢れかえっているけれど、そんな風になる前は、もっと趣味的、コミュニケーション的な趣旨で情報発信しているような、良心的なサイトも数多く目に付いていた。そういう世界が好きだったし、思えば僕自身、「収入を得なくてはいけない」という義務感に追われるようになるより前には、楽しみやコミュニケーションのためにサイトを作ったりブログを書いたりしていたはずだ

趣味でも発信をしていたい、「個人サイトの管理人」でいたいという気持ちがある。忘れている時間の方が長くなってしまったが、心の片隅ではずっと消えずにくすぶり続けている気持ちが。

Web上の光景は昔とはずいぶんと変わった。まるで、村が発展して都市になるように。スマホとアプリの普及によって、ウェブ検索では見えない領域が爆発的に増えた。表現方法も動画や音声が当たり前になり、テキストはひょっとしたらもはや主流ではないかもしれない。けれど、今からでもまだ、昔好きだった“村の遊び” はできるはずだ。細々とでも。もう一度、自分が好きなようにできる場所で、好みのデザインを作って、そこへ自分の興味があるものを並べてみたい。

僕がWeb上で個人サイトという自分の場所を持っていたい理由は、たぶんそんな感傷的な理由だ。実際に作る時間や気力がどれほど残っているかは分からない、それでも……と。数GBの空き容量を広い空き地に見立てて、空想上の理想郷を夢見ているわけだ。

幸運なことに、今はとりあえず仕事があるから、無理に「好きを仕事に」しなくてもいい状況にある。思い描いているものを一部でも実際に形にするなら、今がチャンスかもしれない。
少しずつ準備していこうかな、ほかの誰でもなく、自分自身のために。
気負うとすぐに内臓の具合が悪くなってしまうから、少しずつ、少しずつ……。

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最近おなかがぽっこりしてきて危機感を覚えたので、米とおやつを減らしつつ、サボっていたリングフィットを再開してます(近況)。

ブログに求めるもの

WordPressでブログを運営するために個人で契約している、レンタルサーバの移転作業を3連休のあいだに進めた。
検索エンジンから記事にアクセスした人が移転後もその記事を読めるようにするため、しばらく触れていなかったDNSSSL301リダイレクトの管理作業に四苦八苦。

なんとか理想の形に落ち着いたものの、連休が……終わった。この3日間のためにSwitchの桃鉄を買っていたのに。こうなるとテレワークの合間にプレイするしかないですねえ、しょうがないですねえ(?)。

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さて、そうやって土台のしつらえはできても、肝心のブログの中身は長いあいだ更新できていない。多忙を理由にするのは簡単だが、要因として思い当たることはもう一つある。それは「気持ちよく文章を書ける場になっていない」という課題だ。

数年前、はてなブログを一度卒業してWordPressに移ったのだけど、WordPressというのは、どうにも個人的には書きづらさを感じるツールだった。

まず、既製のテーマ(デザイン)は海外製が多く、日本製もビジネス用途のものばかりで、「日本語で」「商売っ気のないブログを」書くのに向いているテーマがそうそう見つからない。書く人にはきっと共感してもらえると思うのだけど、自分の文章がどんなデザインで公開されるかは、モチベーションに大きく関わる、大切で繊細なことだ。

いいものがなければ作ればいい、と思ったことはあるのだけど、phpの学習に挫折してそれっきりになっていた。

WordPressのブロックエディタが高機能すぎて(?)、書き心地が好きになれないのもネックだ。文書の構造やレイアウトを組み立てるツールとしては便利だとしても、文章を推敲しながら書き進める場所としては、いまひとつしっくりこない。
フィーリング的には旧エディタ(Classic Editor)のほうがマシだし、もっと言えば、テキストエディタやメモアプリでの下書きが一番書きやすいのではないかな。それって不便じゃん?

noteも何度か触ってみたけれど、テキストを公開する場としても、書き心地の面でも、(まだ)馴染めていない。

その点、はてなブログは気軽に公開できるし、エディタもすらすら書けるし、なかなかどうして素晴らしいものだということを、ぼくはこうして出戻ったことで再認識したのだった。
勝手に離れてごめんね、やっぱり好きだよ(花束の絵文字)(キスの絵文字)

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サーバの見直しをきっかけに、この課題の改善を考えているが、それ以前に、もっと本質的なことも考え直している。SNS全盛の時代に、あえて個人でブログやサイトを開設することにどんな意味があるのか? 自分はそれに何を期待しているのか?

考えがもう少しまとまったら、続きを書きたい。

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昔、旅行で大阪に行った時に買い損ねて心残りだった、大阪名物551蓬莱の豚まんをお取り寄せ。
生地や玉ねぎが甘くて、豚の脂のうま味がそれに調和していて、クセになる納得の味。何もつけなくてもおいしいけど、付属のからしをポン酢に溶いて、浸して食べるのも一興だ。

出不精なら免許皆伝

前回の記事を書いたあと、団地の階段を踏み外してくるぶしを骨折してしまった。
シーネやギプスでの固定を2ヶ月、そこから体力が回復するまでさらに1~2ヶ月。家の中で過ごすことにすっかり慣れたので、治ってからもほぼずっと一日中家にいる。

世間的にはこれを“新しい生活様式”と呼ぶのかもしれないが、こちとらベテランニートなので、なんならこっちが通常運転だ。まあ、これから秋の花や紅葉のシーズンなので、もっと写真を撮りに出かけたいとは思うのだけど。

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ステイホームの夕景、扇風機

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人は、たまたま起こった出来事にも意味を見出したくなる生き物だ。
ぼくもその例に漏れず、初めて骨折したことの意味を考えていた。座っていると血が溜まって紫色に腫れる右足を、一日に何度もベッドで休ませながら。

今まで焦っていた、急ぎすぎていた、それを見直すべきときが来たのだ。
というのが、考えて出た答えだった。

ここ数年間は、顔を強ばらせて急ぐ時間が多かった。
明らかに向いていない力仕事のバイトで。
遊んではいられない、勉強や作業にもっと時間を費やさなくてはいけないと考えているとき。
PCの中での作業に比べて、現実世界は進みが遅くてまどろっこしいと苛立っているとき。

そして結果はどうだったろう。
運搬物や通路が狭まったところに、顔や身体を何度もぶつけて痛い思いをした。
娯楽を我慢しても、願うほどには成果が上がらなかった(結構がんばれたとは思うけど)。
足元もろくに見ないで、階段を駆け下りたから──。

遅かれ早かれ、事故や病気を招くような生き方をしていたと思う。

外の世界を怖がるひきこもりの青年が、そこそこ続けられそうな仕事に辿り着くまでには、どうしてもアクセルを強く踏み込む必要があった。それは確かだ。でもここから先は多分、無理なく続けていくための新しいペース配分や方法を模索する時期なんだろう。

焦っていた理由の根っこにあるのはおそらく、不安。
客観的には今かなりうまくいっているのに、そこそこ楽しく過ごせているのに、心のどこかではいつも何かが不安なのかもしれない。みんなそうなのかな、どうしているのかな。

自分専用ツイッター

このブログを開設した最大の理由は「SNSを見ない時間を増やすこと」だ。

外出を制限された暇な人間が増えてしまったせいで、ここ数ヶ月間のTwitterは近年まれに見る地獄と化している。他人の怒りをシャットアウトして自分の心を守らなくては、心の健康が損なわれてしまう。だから避難場所を作った。

Twitter断ちをするつもりはなく、ツイートもするしタイムラインも見ているが、利用時間は以前より短くなった。自制はしていないのだが、不快な情報が増えたので自然にそうなった。そしてラジオや本など、他のメディアに触れる時間が少しずつ増えている。

慢性ネット依存の僕にとっては、Twitterの住み心地の悪化はまんざら悪いことではない。

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SNSを使いたい理由は人それぞれだが、経験上、最悪な動機は「孤独感を紛らわせるため」だと思う。

何をどう書こうとも、期待するほどの反応は得られない。タイムラインをどこまで遡っても、本当の欲求が満たされることは永久にない。アプリやサイトを閉じるのは、満足した時ではなく、諦めがついた時でしかない

タイムラインを掘り下げるよりも、自分の心の内を掘り下げるほうが孤独感には効くし、新たな気付きも少なくない。それをこうして文章にするのも気持ちいい。内面世界って自分専用のTwitterじゃん。
このブログが存在しているおかげで、その感覚を何度でも思い出せる。始めてよかったカモメメ(なおタイトルの由来は非公表となっております)。

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ちなみに、二番目に悪いSNSの利用目的は「有益な情報の発信」だ。自省のためにもこれを挙げておきたい。

そういった類のアウトプットで良い影響力を持ちうるのは、基本的に、各分野のプロや専門家に限る。プロでも専門家でもない一般大衆のひとりである自分が、頑張ってなにか良い情報を伝えようとしたところで、そんなものは99%誰にも刺さらず徒労に終わるものだ。最近も徒労に終わったばかりだ。

そもそも、SNSは頭を使わなくても知的興奮を得られる、ドラッグやアルコールのようなツールだ。SNSは議論に向かないとはよく言われるが、おそらく情報発信にも向いてない。なぜなら、みんなSNSを見るときに頭なんか使いたくないから。

バズるツイートは「有益な何か」を伝えているように装いつつ、扇情がうまいだけで、情報の質や信頼性は疑わしいものも多い。それを逆に言えば、「身になる情報はバズらない」のではないか?

だから、真面目な内容で伝えたいことがあれば、専門のサイトやYouTubeチャンネルなどを地道に作って、土俵をしっかり整えながら発信していくのが近道だと改めて思った。楽ではないけど、急がば回れ。その情報を本当に必要としている人がどこかにいたら、いつか必ず検索して見つけてくれる。その出会いを信じたい。

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角煮丼の写真

はらぺこグリズリーさんのレシピ本を見て作った角煮丼。
簡単な割においしかった。
しかし本の写真↓と違いすぎるな……盛り付けも少しは練習しようかな。

www.cheap-delicious.com

しごおわ自体もいつかは終わる

派遣会社から、次の契約更新があるのか否かの連絡が来るはずが、来なくてモヤモヤした金曜日。

いつもならすんなり決まる契約更新だが、今回は「このままでは人手が1〜2人分余る」という雰囲気がある。
しかも世はコロナ不況、派遣先の売上もいくらか減少中だ。
今回はさすがに、正念場感をひしひしと感じる。心の準備はしておきたい。

いつまでここで働くべきか……と、悩みながら続けてきた仕事なのに、いざ離れることを思うと結構寂しい。
なんだかんだ言っても、人にも環境にもけっこう恵まれていたし、この会社を好きになってもいたんだなあ。

あと、面接とかポートフォリオ更新とかまだしたくねえ……(←本音)
企業によってはテレワークができない可能性があるのもつらい……

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100%デジタルワークの仕事を通じて再認識したのが、ネットやPCのオタク的な知識や経験は、環境によってはものすごく重宝されるということ。
今日なんて、「手元にないうえに使用経験もほぼない、某マイナーな業務用ソフトのトラブルをメールの伝達だけで解決に導く」というミラクルプレーを決めましたからね(ドヤ顔)

次の職場でも何かしらで“パソコンの先生”をやる自分の姿が今から見えるし、多分、そういう役立ち方ができる環境にずっと身を置いたほうがいいんだと思う。周りのためにも自分のためにも。

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スパゲティとサラダの写真

今週、久しぶりに母のウケが良かったスパゲティ。
トマトベースでアンチョビ&モッツァレラチーズ

昔買い集めていた「きょうの料理ビギナーズ」のテキストの中に、まだ試したことがないレシピが大量にあり、これもその一つだった。また週末に作ろう。

アンチョビ、以前は買うたびに余らせていたけど、単にサラダとかにそのままかけて食べればいいことに今回ようやく気付いた。成長だ。

人の成長なんて、案外、そんな些細なことの積み重ねで十分なのかもしれない。


そして「モッツァレラチーズ」という単語、もはや食材そのものより「だんだんテンションを上げて言っていくゲーム」を先に連想してしまいませんか?