すごもりGW

平日をはさんだ、カレンダー通りのゴールデンウィークが今年も終わりを迎える。
3月ごろは「もっと遊びに出よう!」という気持ちになっていたが、ここのところ、フィールドに出現する敵が“変異株”という名の上位ランクに移り変わり、情勢が再び不穏になってきた。

なので今年も、歩いて行ける範囲内でずっと過ごしていた……というか、ほぼずっと家にいた。

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新国立劇場バレエ団の「コッペリア」の配信ライブがまず良かった。バレエをちゃんと(?)見るのは初めての経験。

台詞がないかわりに、演者は踊りや誇張したモーションで感情を表現する。第一幕では、語られる登場人物の関係性がラブコメみたいなこともあって、結構わかりやすくエンタメ的な楽しさを感じられた。

明るく楽しい要素の一方で、影の側面も色濃くなるのが第二部だ。晴れて結ばれ、幸せいっぱいハッピーエンドを迎える陽キャップルとは対照的な、老いた男コッペリウスの滑稽さと孤独と悲しみ。そのリアリティは、我々陰キャの心にこそ刺さるものだった……余韻……。

www.sankei.com

先日noteでも紹介してみたアイドルのオンラインフェス、#DSPMGOLDENFESONLINEも楽しかった。

もともと好きなユニットが良かったのはもちろん、魅力を再発見できたのがARCANA PROJECTや恋汐りんご(ソロ)、絵恋ちゃんあたり。まだ見ていない公演がけっこう残っているので、アーカイブ公開が終わる月末までに全通(?)しておきたい。

lit.link

それから、Switchで以前途中までプレイしていた『チョコボの不思議なダンジョン エブリバディ!』を衝動的に再開。これは本当に衝動的で、数日前の夜に突然、死ぬほどやりたい……! となって。なにゆえ。

PS5で少しずつ遊んでいる『スパイダーマン』シリーズのリッチなゲーム体験もいいけど、結局は『チョコボ』くらいのコンパクトなスケール感で、ほどよく頭を使いながらコツコツ進めていくRPGが一番好きなのかもしれない。

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今回は結構楽しく過ごせたけど、時々、休日を家にこもって過ごすことに後ろめたさのようなものを感じることもある。ステイホームが呼びかけられて以来、その感情は薄まってきてはいる。でも完全に消えてもいない。この気持ちはなんだろう?

考えてみると、私が大切にしたいのは家から出ること自体ではなく、頭や心が弾む体験をどれだけできるか、ということなのかなあ。それに、母を遊びに連れ出さねば、という義務感も強く関係していると思う。
このあたりは少しずつ掘り下げていきたい。

PayPay銀行のキャッシュカードの写真

地味にうれしかったこと:PayPay銀行のキャッシュカードが結構かっこよかった
(とはいえ、PayPayチャージの時には出番ないし、VISAデビットはKyash経由で使いたいし、ATMでの入金もアプリがカードの代わりになるから、これを持ち歩く必要性は全くないんだけど……)

変えることで動き出す

4月、特にここ一週間の間にいろんなものを変えてきた。

Evernoteで昔つけていた、我が家の定番料理のメモをScrapboxに移行した(プロジェクト作成はだいぶ前に済んでいたのだが、肝心の中身の整理が手つかずだった)。

電気使用量のログをExcelからGoogleスプレッドシートに移行した(母のスマホと共有できるようになった)。

MacOSをアップデートした(mojaveからBig Sur 11.3へ。UIがかわいくなって新鮮、不具合もほぼなくて快適!)。

noteに長めの記事を書いてみて、文章をもっと書かねばと思って日記を書く習慣を見直すことにし、その流れで日記用のアプリをOneNoteからUpNoteに変えた(とても気に入ったので、買い切りのプレミアムメンバーシップに即課金した)。

mupon.net

習慣にしたいことを改めてツールで管理することにした(まだ具体的な形は固まっていない、GWの間に始めてみよう)。

先週は楽天で買ったぬか床でぬか漬けを始めてみたら、腸の調子がだいぶ良くなって助かっている。
そういえば、PayPay銀行の口座開設もしたんだった。

自家製ぬか漬けの写真

きゅうりの浅漬けがうまい

使うものや身につけるもの、食べるもの……硬直していたルーティンに新しいものを取り入れると、停滞していた物事も進み出すような気分になってくる。

いつまでも沈んだままではいられない。
世の中に暗い影が差し、どんなに狂気がはびこっても、できるだけ機嫌良くやっていきたい。

『写真講義』

図書館で先月末から借りていた、ルイジ・ギッリ『写真講義』をようやく読了(だいぶ延滞してしまった)。イタリアの写真家であるギッリの講義録。

豊富に収録されている写真の魅力に惹かれるとともに、とても繊細で、ロマンチストあるいは夢想家で、そして理屈屋……そんな彼の人物像が伝わってくるような本だった。心の目で捉えた世界を重んじ、写真という媒体の上でそれを表現しようとするスタンスに共感を覚えた。好きな箇所を一部引用したい。

錬金術にも似た繊細な作業を通じて、私たちの内面──私の写真家‐人間としての内面──と私たちの外で生き、私たちがいなくとも存在し、撮影した後も存在し続ける外的な存在物との均衡点を探し当てるほうに向かわなければなりません。

単純に心のスイッチをONにすること、眼差しを活性化させること、現実の物や要素に別の意味を与えながらこれまで見えていなかったものやことを発見すること、これまでと違う方法で注視すること、こうしたことが重要なのです。

このような注意力を活発にさせられるかどうかが、写真表現での次のステップに関わってきます。取り憑かれたように好ましいフレーミングを探し回ればいいのではありません。

私は当然ながら、彼ほどには写真の世界を深く愛せてはいない。ただ、まれに、撮影に気持ちよく没頭できている時、私にも「心の目で見ている」という実感が湧く瞬間がある。その感覚は大切なものだ、と言ってもらえたような気分で読んだ。

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Amazonのレビューは賛否両論。そりゃそうだろうと思う。ギッリは教え子たちに、とても繊細な領域の話をしている(技術的な面では、おおむね基本的なことしか語られない)。考え方が合わない人も多いだろう。

私にとっては、出会えて良かったと思えた一冊だった。なかなかお高いので、買おうとまでは思えないけど……またいつでも借りられるし。

www.msz.co.jp

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ところで、ギッリの写真には絵画のような美しさがあるが、見ようによっては、なんでもない平凡な光景のような写真でもある。本書のような雄弁な言葉(文章)がなければ、そこに宿る魅力に誰もが気付けるわけではないだろう。

www.archivioluigighirri.com

ということは、もしかすると。
私が心の目でフレーミングして写した写真も、言葉(タイトルやキャプション)をしっかり書かないと、どこを良いと思っているのかさっぱり伝わらないのか。技術が拙いぶん、なおさらだよな……なるほど……。

芝生と花畑の写真