自分の土地を持っていたい

金曜の夜。ようやく平日が終わり、自分の時間を取り戻せたような気分がやってくる。部屋の防寒対策が済んだので、足下の冷えは耐えられる程度に収まっているし、手元にはマグカップに並々とアメリカンコーヒー。明るいうちにたっぷり昼寝もしたので、文章を書く準備は万端だ。

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前回のつづきを書いてみよう。

SNS全盛の時代に、あえて個人でブログやサイトを開設することにどんな意味があるのか? 自分はそれに何を期待しているのか?

有料のサーバを借り始めてから1〜2年のあいだは、BloggerからWordPressに移設したこのブログの広告が小学生のおこづかい程度に収益を上げていたので、意義を考えるまでもなかった。
「現金収入」
何かをする理由として、これほど説得力の強いワードはそうそうない。

だが、更新を終了したブログのアクセス数がいつまでも減らないはずもなく、収益が月数百円というレベルにまで落ち込んだので、先日ついに広告を外した。あのブログについては、今後の求職活動などの際、昔こういうのもやってましたよーと言えるように保存できていれば十分かなと思う。

実利がなくなったので、それでようやく、個人サイトをやる意味を改めて考えることになった。新しいほうのブログはうまく続かなかったし(前回参照)、今後はどうしていこうか。無料で維持できるブログならなんとなく持っていたって構わないが、うちはサーバとドメイン2つで年間9000円ほどの維持費がかかる。それを無意味に垂れ流しておけるほど、僕はまだ裕福ではない……。

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先に挙げたスキル云々とか、合理的な理由をいくつか並べてみたけれど、それだけでは何かが足りない感じがした。
何日か考え続けて、ひとつ、納得のいく答えが出た。

要するに、自分のサイトを持って、そこから発信することに対しての憧れが消えていないのだ。

今は収入目的のブログがGoogleの検索結果に溢れかえっているけれど、そんな風になる前は、もっと趣味的、コミュニケーション的な趣旨で情報発信しているような、良心的なサイトも数多く目に付いていた。そういう世界が好きだったし、思えば僕自身、「収入を得なくてはいけない」という義務感に追われるようになるより前には、楽しみやコミュニケーションのためにサイトを作ったりブログを書いたりしていたはずだ

趣味でも発信をしていたい、「個人サイトの管理人」でいたいという気持ちがある。忘れている時間の方が長くなってしまったが、心の片隅ではずっと消えずにくすぶり続けている気持ちが。

Web上の光景は昔とはずいぶんと変わった。まるで、村が発展して都市になるように。スマホとアプリの普及によって、ウェブ検索では見えない領域が爆発的に増えた。表現方法も動画や音声が当たり前になり、テキストはひょっとしたらもはや主流ではないかもしれない。けれど、今からでもまだ、昔好きだった“村の遊び” はできるはずだ。細々とでも。もう一度、自分が好きなようにできる場所で、好みのデザインを作って、そこへ自分の興味があるものを並べてみたい。

僕がWeb上で個人サイトという自分の場所を持っていたい理由は、たぶんそんな感傷的な理由だ。実際に作る時間や気力がどれほど残っているかは分からない、それでも……と。数GBの空き容量を広い空き地に見立てて、空想上の理想郷を夢見ているわけだ。

幸運なことに、今はとりあえず仕事があるから、無理に「好きを仕事に」しなくてもいい状況にある。思い描いているものを一部でも実際に形にするなら、今がチャンスかもしれない。
少しずつ準備していこうかな、ほかの誰でもなく、自分自身のために。
気負うとすぐに内臓の具合が悪くなってしまうから、少しずつ、少しずつ……。

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最近おなかがぽっこりしてきて危機感を覚えたので、米とおやつを減らしつつ、サボっていたリングフィットを再開してます(近況)。

ブログに求めるもの

WordPressでブログを運営するために個人で契約している、レンタルサーバの移転作業を3連休のあいだに進めた。
検索エンジンから記事にアクセスした人が移転後もその記事を読めるようにするため、しばらく触れていなかったDNSSSL301リダイレクトの管理作業に四苦八苦。

なんとか理想の形に落ち着いたものの、連休が……終わった。この3日間のためにSwitchの桃鉄を買っていたのに。こうなるとテレワークの合間にプレイするしかないですねえ、しょうがないですねえ(?)。

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さて、そうやって土台のしつらえはできても、肝心のブログの中身は長いあいだ更新できていない。多忙を理由にするのは簡単だが、要因として思い当たることはもう一つある。それは「気持ちよく文章を書ける場になっていない」という課題だ。

数年前、はてなブログを一度卒業してWordPressに移ったのだけど、WordPressというのは、どうにも個人的には書きづらさを感じるツールだった。

まず、既製のテーマ(デザイン)は海外製が多く、日本製もビジネス用途のものばかりで、「日本語で」「商売っ気のないブログを」書くのに向いているテーマがそうそう見つからない。書く人にはきっと共感してもらえると思うのだけど、自分の文章がどんなデザインで公開されるかは、モチベーションに大きく関わる、大切で繊細なことだ。

いいものがなければ作ればいい、と思ったことはあるのだけど、phpの学習に挫折してそれっきりになっていた。

WordPressのブロックエディタが高機能すぎて(?)、書き心地が好きになれないのもネックだ。文書の構造やレイアウトを組み立てるツールとしては便利だとしても、文章を推敲しながら書き進める場所としては、いまひとつしっくりこない。
フィーリング的には旧エディタ(Classic Editor)のほうがマシだし、もっと言えば、テキストエディタやメモアプリでの下書きが一番書きやすいのではないかな。それって不便じゃん?

noteも何度か触ってみたけれど、テキストを公開する場としても、書き心地の面でも、(まだ)馴染めていない。

その点、はてなブログは気軽に公開できるし、エディタもすらすら書けるし、なかなかどうして素晴らしいものだということを、ぼくはこうして出戻ったことで再認識したのだった。
勝手に離れてごめんね、やっぱり好きだよ(花束の絵文字)(キスの絵文字)

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サーバの見直しをきっかけに、この課題の改善を考えているが、それ以前に、もっと本質的なことも考え直している。SNS全盛の時代に、あえて個人でブログやサイトを開設することにどんな意味があるのか? 自分はそれに何を期待しているのか?

考えがもう少しまとまったら、続きを書きたい。

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昔、旅行で大阪に行った時に買い損ねて心残りだった、大阪名物551蓬莱の豚まんをお取り寄せ。
生地や玉ねぎが甘くて、豚の脂のうま味がそれに調和していて、クセになる納得の味。何もつけなくてもおいしいけど、付属のからしをポン酢に溶いて、浸して食べるのも一興だ。

出不精なら免許皆伝

前回の記事を書いたあと、団地の階段を踏み外してくるぶしを骨折してしまった。
シーネやギプスでの固定を2ヶ月、そこから体力が回復するまでさらに1~2ヶ月。家の中で過ごすことにすっかり慣れたので、治ってからもほぼずっと一日中家にいる。

世間的にはこれを“新しい生活様式”と呼ぶのかもしれないが、こちとらベテランニートなので、なんならこっちが通常運転だ。まあ、これから秋の花や紅葉のシーズンなので、もっと写真を撮りに出かけたいとは思うのだけど。

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ステイホームの夕景、扇風機

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人は、たまたま起こった出来事にも意味を見出したくなる生き物だ。
ぼくもその例に漏れず、初めて骨折したことの意味を考えていた。座っていると血が溜まって紫色に腫れる右足を、一日に何度もベッドで休ませながら。

今まで焦っていた、急ぎすぎていた、それを見直すべきときが来たのだ。
というのが、考えて出た答えだった。

ここ数年間は、顔を強ばらせて急ぐ時間が多かった。
明らかに向いていない力仕事のバイトで。
遊んではいられない、勉強や作業にもっと時間を費やさなくてはいけないと考えているとき。
PCの中での作業に比べて、現実世界は進みが遅くてまどろっこしいと苛立っているとき。

そして結果はどうだったろう。
運搬物や通路が狭まったところに、顔や身体を何度もぶつけて痛い思いをした。
娯楽を我慢しても、願うほどには成果が上がらなかった(結構がんばれたとは思うけど)。
足元もろくに見ないで、階段を駆け下りたから──。

遅かれ早かれ、事故や病気を招くような生き方をしていたと思う。

外の世界を怖がるひきこもりの青年が、そこそこ続けられそうな仕事に辿り着くまでには、どうしてもアクセルを強く踏み込む必要があった。それは確かだ。でもここから先は多分、無理なく続けていくための新しいペース配分や方法を模索する時期なんだろう。

焦っていた理由の根っこにあるのはおそらく、不安。
客観的には今かなりうまくいっているのに、そこそこ楽しく過ごせているのに、心のどこかではいつも何かが不安なのかもしれない。みんなそうなのかな、どうしているのかな。