自分専用ツイッター

このブログを開設した最大の理由は「SNSを見ない時間を増やすこと」だ。

外出を制限された暇な人間が増えてしまったせいで、ここ数ヶ月間のTwitterは近年まれに見る地獄と化している。他人の怒りをシャットアウトして自分の心を守らなくては、心の健康が損なわれてしまう。だから避難場所を作った。

Twitter断ちをするつもりはなく、ツイートもするしタイムラインも見ているが、利用時間は以前より短くなった。自制はしていないのだが、不快な情報が増えたので自然にそうなった。そしてラジオや本など、他のメディアに触れる時間が少しずつ増えている。

慢性ネット依存の僕にとっては、Twitterの住み心地の悪化はまんざら悪いことではない。

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SNSを使いたい理由は人それぞれだが、経験上、最悪な動機は「孤独感を紛らわせるため」だと思う。

何をどう書こうとも、期待するほどの反応は得られない。タイムラインをどこまで遡っても、本当の欲求が満たされることは永久にない。アプリやサイトを閉じるのは、満足した時ではなく、諦めがついた時でしかない

タイムラインを掘り下げるよりも、自分の心の内を掘り下げるほうが孤独感には効くし、新たな気付きも少なくない。それをこうして文章にするのも気持ちいい。内面世界って自分専用のTwitterじゃん。
このブログが存在しているおかげで、その感覚を何度でも思い出せる。始めてよかったカモメメ(なおタイトルの由来は非公表となっております)。

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ちなみに、二番目に悪いSNSの利用目的は「有益な情報の発信」だ。自省のためにもこれを挙げておきたい。

そういった類のアウトプットで良い影響力を持ちうるのは、基本的に、各分野のプロや専門家に限る。プロでも専門家でもない一般大衆のひとりである自分が、頑張ってなにか良い情報を伝えようとしたところで、そんなものは99%誰にも刺さらず徒労に終わるものだ。最近も徒労に終わったばかりだ。

そもそも、SNSは頭を使わなくても知的興奮を得られる、ドラッグやアルコールのようなツールだ。SNSは議論に向かないとはよく言われるが、おそらく情報発信にも向いてない。なぜなら、みんなSNSを見るときに頭なんか使いたくないから。

バズるツイートは「有益な何か」を伝えているように装いつつ、扇情がうまいだけで、情報の質や信頼性は疑わしいものも多い。それを逆に言えば、「身になる情報はバズらない」のではないか?

だから、真面目な内容で伝えたいことがあれば、専門のサイトやYouTubeチャンネルなどを地道に作って、土俵をしっかり整えながら発信していくのが近道だと改めて思った。楽ではないけど、急がば回れ。その情報を本当に必要としている人がどこかにいたら、いつか必ず検索して見つけてくれる。その出会いを信じたい。

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角煮丼の写真

はらぺこグリズリーさんのレシピ本を見て作った角煮丼。
簡単な割においしかった。
しかし本の写真↓と違いすぎるな……盛り付けも少しは練習しようかな。

www.cheap-delicious.com

しごおわ自体もいつかは終わる

派遣会社から、次の契約更新があるのか否かの連絡が来るはずが、来なくてモヤモヤした金曜日。

いつもならすんなり決まる契約更新だが、今回は「このままでは人手が1〜2人分余る」という雰囲気がある。
しかも世はコロナ不況、派遣先の売上もいくらか減少中だ。
今回はさすがに、正念場感をひしひしと感じる。心の準備はしておきたい。

いつまでここで働くべきか……と、悩みながら続けてきた仕事なのに、いざ離れることを思うと結構寂しい。
なんだかんだ言っても、人にも環境にもけっこう恵まれていたし、この会社を好きになってもいたんだなあ。

あと、面接とかポートフォリオ更新とかまだしたくねえ……(←本音)
企業によってはテレワークができない可能性があるのもつらい……

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100%デジタルワークの仕事を通じて再認識したのが、ネットやPCのオタク的な知識や経験は、環境によってはものすごく重宝されるということ。
今日なんて、「手元にないうえに使用経験もほぼない、某マイナーな業務用ソフトのトラブルをメールの伝達だけで解決に導く」というミラクルプレーを決めましたからね(ドヤ顔)

次の職場でも何かしらで“パソコンの先生”をやる自分の姿が今から見えるし、多分、そういう役立ち方ができる環境にずっと身を置いたほうがいいんだと思う。周りのためにも自分のためにも。

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スパゲティとサラダの写真

今週、久しぶりに母のウケが良かったスパゲティ。
トマトベースでアンチョビ&モッツァレラチーズ

昔買い集めていた「きょうの料理ビギナーズ」のテキストの中に、まだ試したことがないレシピが大量にあり、これもその一つだった。また週末に作ろう。

アンチョビ、以前は買うたびに余らせていたけど、単にサラダとかにそのままかけて食べればいいことに今回ようやく気付いた。成長だ。

人の成長なんて、案外、そんな些細なことの積み重ねで十分なのかもしれない。


そして「モッツァレラチーズ」という単語、もはや食材そのものより「だんだんテンションを上げて言っていくゲーム」を先に連想してしまいませんか?

好きなことを楽しみながら

ゼスプリのキウイのCMが流れるたびに、泣きそうな気持ちになってしまう。

www.youtube.com

「かわいい」とか「癒やされる」といった一言では済まない、なにか複雑な感傷が湧き上がる。なぜこんなに沁みるんだろう。

第一にこの歌声。優しさだけでない、切なさのようなものを帯びていて、心の琴線を刺激される。(調べてみたら岩崎愛さんというシンガーソングライターの方だった。アルバム「TSUBOMI」も良かった)

キウイブラザーズのけなげさや、ビジュアル全体のかわいさからも目が離せない。こんな時なのに、なのか、こんな時だから、なのか、100%ピュアで優しい世界がまぶしい。

おそらく伝わりにくくて変な話だけど、たぶん、「許された」ような気持ちになるんだと思う。
がんばらなくてもいいよ。よくがんばってきたね、でももう大丈夫。
そう言ってもらえているような。


キウイ買うよ……
アゲリシャス……(涙)

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先々のためにやったほうが良いこと、は数え切れないほど存在している。しかも、ひとつ達成したらすぐにまた次の目標が目に入る、その繰り返しだ。「現状に満足したら進歩が止まる」ともよく言われる。

でも、「進歩が止まる」ことは本当に悪いことだろうか。それは「成長し続けるというルールのゲーム」に参加している者同士にだけ通用する話ではないのか?

ここから先、人生に絶望しないようにやっていくには、ゼスプリのCMの歌詞にもある「好きなことを楽しみながら」が大切だと思い始めている。すぐに手が届きそうな小さな幸せがあったら、躊躇することなく、手を伸ばしたほうがいい。でないと、身も心も早く枯れてしまうだろう。

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青空の写真

今日は夏日になった。
歩いて郵便物を出しに行ったが、なかなかの暑苦しさ。
何をして過ごしていても、季節は巡っている。