出不精なら免許皆伝

前回の記事を書いたあと、団地の階段を踏み外してくるぶしを骨折してしまった。
シーネやギプスでの固定を2ヶ月、そこから体力が回復するまでさらに1~2ヶ月。家の中で過ごすことにすっかり慣れたので、治ってからもほぼずっと一日中家にいる。

世間的にはこれを“新しい生活様式”と呼ぶのかもしれないが、こちとらベテランニートなので、なんならこっちが通常運転だ。まあ、これから秋の花や紅葉のシーズンなので、もっと写真を撮りに出かけたいとは思うのだけど。

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ステイホームの夕景、扇風機

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人は、たまたま起こった出来事にも意味を見出したくなる生き物だ。
ぼくもその例に漏れず、初めて骨折したことの意味を考えていた。座っていると血が溜まって紫色に腫れる右足を、一日に何度もベッドで休ませながら。

今まで焦っていた、急ぎすぎていた、それを見直すべきときが来たのだ。
というのが、考えて出た答えだった。

ここ数年間は、顔を強ばらせて急ぐ時間が多かった。
明らかに向いていない力仕事のバイトで。
遊んではいられない、勉強や作業にもっと時間を費やさなくてはいけないと考えているとき。
PCの中での作業に比べて、現実世界は進みが遅くてまどろっこしいと苛立っているとき。

そして結果はどうだったろう。
運搬物や通路が狭まったところに、顔や身体を何度もぶつけて痛い思いをした。
娯楽を我慢しても、願うほどには成果が上がらなかった(結構がんばれたとは思うけど)。
足元もろくに見ないで、階段を駆け下りたから──。

遅かれ早かれ、事故や病気を招くような生き方をしていたと思う。

外の世界を怖がるひきこもりの青年が、そこそこ続けられそうな仕事に辿り着くまでには、どうしてもアクセルを強く踏み込む必要があった。それは確かだ。でもここから先は多分、無理なく続けていくための新しいペース配分や方法を模索する時期なんだろう。

焦っていた理由の根っこにあるのはおそらく、不安。
客観的には今かなりうまくいっているのに、そこそこ楽しく過ごせているのに、心のどこかではいつも何かが不安なのかもしれない。みんなそうなのかな、どうしているのかな。

自分専用ツイッター

このブログを開設した最大の理由は「SNSを見ない時間を増やすこと」だ。

外出を制限された暇な人間が増えてしまったせいで、ここ数ヶ月間のTwitterは近年まれに見る地獄と化している。他人の怒りをシャットアウトして自分の心を守らなくては、心の健康が損なわれてしまう。だから避難場所を作った。

Twitter断ちをするつもりはなく、ツイートもするしタイムラインも見ているが、利用時間は以前より短くなった。自制はしていないのだが、不快な情報が増えたので自然にそうなった。そしてラジオや本など、他のメディアに触れる時間が少しずつ増えている。

慢性ネット依存の僕にとっては、Twitterの住み心地の悪化はまんざら悪いことではない。

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SNSを使いたい理由は人それぞれだが、経験上、最悪な動機は「孤独感を紛らわせるため」だと思う。

何をどう書こうとも、期待するほどの反応は得られない。タイムラインをどこまで遡っても、本当の欲求が満たされることは永久にない。アプリやサイトを閉じるのは、満足した時ではなく、諦めがついた時でしかない

タイムラインを掘り下げるよりも、自分の心の内を掘り下げるほうが孤独感には効くし、新たな気付きも少なくない。それをこうして文章にするのも気持ちいい。内面世界って自分専用のTwitterじゃん。
このブログが存在しているおかげで、その感覚を何度でも思い出せる。始めてよかったカモメメ(なおタイトルの由来は非公表となっております)。

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ちなみに、二番目に悪いSNSの利用目的は「有益な情報の発信」だ。自省のためにもこれを挙げておきたい。

そういった類のアウトプットで良い影響力を持ちうるのは、基本的に、各分野のプロや専門家に限る。プロでも専門家でもない一般大衆のひとりである自分が、頑張ってなにか良い情報を伝えようとしたところで、そんなものは99%誰にも刺さらず徒労に終わるものだ。最近も徒労に終わったばかりだ。

そもそも、SNSは頭を使わなくても知的興奮を得られる、ドラッグやアルコールのようなツールだ。SNSは議論に向かないとはよく言われるが、おそらく情報発信にも向いてない。なぜなら、みんなSNSを見るときに頭なんか使いたくないから。

バズるツイートは「有益な何か」を伝えているように装いつつ、扇情がうまいだけで、情報の質や信頼性は疑わしいものも多い。それを逆に言えば、「身になる情報はバズらない」のではないか?

だから、真面目な内容で伝えたいことがあれば、専門のサイトやYouTubeチャンネルなどを地道に作って、土俵をしっかり整えながら発信していくのが近道だと改めて思った。楽ではないけど、急がば回れ。その情報を本当に必要としている人がどこかにいたら、いつか必ず検索して見つけてくれる。その出会いを信じたい。

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角煮丼の写真

はらぺこグリズリーさんのレシピ本を見て作った角煮丼。
簡単な割においしかった。
しかし本の写真↓と違いすぎるな……盛り付けも少しは練習しようかな。

www.cheap-delicious.com

しごおわ自体もいつかは終わる

派遣会社から、次の契約更新があるのか否かの連絡が来るはずが、来なくてモヤモヤした金曜日。

いつもならすんなり決まる契約更新だが、今回は「このままでは人手が1〜2人分余る」という雰囲気がある。
しかも世はコロナ不況、派遣先の売上もいくらか減少中だ。
今回はさすがに、正念場感をひしひしと感じる。心の準備はしておきたい。

いつまでここで働くべきか……と、悩みながら続けてきた仕事なのに、いざ離れることを思うと結構寂しい。
なんだかんだ言っても、人にも環境にもけっこう恵まれていたし、この会社を好きになってもいたんだなあ。

あと、面接とかポートフォリオ更新とかまだしたくねえ……(←本音)
企業によってはテレワークができない可能性があるのもつらい……

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100%デジタルワークの仕事を通じて再認識したのが、ネットやPCのオタク的な知識や経験は、環境によってはものすごく重宝されるということ。
今日なんて、「手元にないうえに使用経験もほぼない、某マイナーな業務用ソフトのトラブルをメールの伝達だけで解決に導く」というミラクルプレーを決めましたからね(ドヤ顔)

次の職場でも何かしらで“パソコンの先生”をやる自分の姿が今から見えるし、多分、そういう役立ち方ができる環境にずっと身を置いたほうがいいんだと思う。周りのためにも自分のためにも。

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スパゲティとサラダの写真

今週、久しぶりに母のウケが良かったスパゲティ。
トマトベースでアンチョビ&モッツァレラチーズ

昔買い集めていた「きょうの料理ビギナーズ」のテキストの中に、まだ試したことがないレシピが大量にあり、これもその一つだった。また週末に作ろう。

アンチョビ、以前は買うたびに余らせていたけど、単にサラダとかにそのままかけて食べればいいことに今回ようやく気付いた。成長だ。

人の成長なんて、案外、そんな些細なことの積み重ねで十分なのかもしれない。


そして「モッツァレラチーズ」という単語、もはや食材そのものより「だんだんテンションを上げて言っていくゲーム」を先に連想してしまいませんか?